息子の卒業式に出席してきました。これまで卒業式は母親役に押し付けてきました。小学校・中学校といえば場所も近くて、父母参観日もあり、地域の行事も学校で取り組まれるので、親近感もあります。しかし、高校ともなると、校門まで来たことはあっても敷地に踏み込んだこともありません。最後の最後、意を決して一人で出席してきたのです。
臨席してみてびっくり。卒業生諸君は、女生徒は袴・振り袖姿が7〜8割、男子生徒もスーツ姿が大半で、愚息のような制服(それも入学時のきつくなったズボンで)は少数派なのでした。田舎出の私にとっては想像さえできないことでした。学校の「通信」の見出し・「貸衣装は自粛しよう」という呼びかけは、このことだったのかと、そのとき合点しました。式自体は儀礼的なものもありながら、3年間の思い出をスライドも使って卒業生みずから語り、音楽で盛り上げるなど、学校の特色も盛り込みながら全体として卒業生の門出を祝う立派なものだったと思います。私自身も、息子の青春・3年間を一日にして体感した思いで満足して帰ってきました。
ところで、その当日、府議会の一般質問のなかで、以前出席した府立高校の卒業式で朝鮮・ベトナム・中国等の民族衣装を着た卒業生がいたという感想を「キャバレーにきたよう」と某議員が述べ、それも他校の日本の民族衣装である振袖と比較して発言したとのことです。その後、、この発言部分は議事録から削除されましたが、こんな余談のようなことをわざわざ議会で取り上げる議員も暇なようです。この記事を読んで、チマチョゴリの女生徒、突飛な頭の男子生徒が粛然と出席するさまを思い浮かべてみると、彼らの姿は青年として大きく成長しようという決意の表れだったように、改めて思いました。(2003.3)