知られているようにアメリカの原爆投下計画の最終局面で、投下予定地には広島・長崎のほかに、小倉・新潟があがっていました。今日では、東京投下も具体化しつつあったことが明らかになっています。東京が真っ先に目標とならなかったのは、すでに焼け野原となっていた東京では、その「効果」が測れなかったからです。当時の広島市民は、ほかの大都市に比べて空襲もなく、その軍事的な意味からも、なぜ攻撃を受けないのかと疑問に思う者も多かったのです。8月6日、広島市内には空襲に備えた建物疎開のため、多くの学生・生徒が市の中心部に動員され、命を落としました。
終戦後、アメリカは広島・長崎にABCC(原爆調査委員会)を設け、被爆者を標本扱いにして、その影響を調査しましたが、その調査は治療をまったく伴わなかったため、市民の怨嗟を招きました。このような原爆についての米政府の態度は、自国民に対しても行われていたことが最近明らかになっています(「原爆開発における人体実験の実相−米政府調査報告を読む」河井智康著)。この報告によれば、米政府機関による、病院患者へのプルトニウム注射、精神障害者へのラジオアイソトープの投与、囚人を使った睾丸放射線照射、兵士による核戦争被害の実験、ウラン鉱夫の被爆体験調査など、戦争中の44年から70年代までの人体実験が明らかになっています。
民主主義の国アメリカでさえ悪魔の飽食をやってきたのです。日本やドイツという高い文化や歴史をもった国でさえ戦争に直面して非人道行為をなしえるといっていいかもしれません。それが歴史的事実となったのちに、それとどう対峙しているかです。いま、あらたに、バルカン半島・アフガン・イラクでは劣化ウラン弾による被爆者が発生しています。大量破壊兵器云々の非難は超大国にこそ向けられなければなりません。(2003.9)
放射線被ばくはまたこの国で起こってしまった。被爆者は世界に拡散している。(2012.7)