ロシア沿海地方を訪問しました

6月末、ロシア沿海地方のウラジオストク近郊・ウスリースク市で日本語を教えていた娘の帰国にあわせて、同地を訪問しました。

ウラジオストクの街角から

アレウツカヤ通り.jpg革命ひろばから北を望む。一方通行の大きな通りですがかまわず駐車する車と交通量のため渋滞していました。ガイドブックにあったトラムはなくなっていました。夕刻、市街地の中心部はいたるところで渋滞、駅近くのホテルになかなかたどり着けませんでした。歩行者も信号は守らない人が多かったです。大きな道も堂々とわたり、車はクラクションを鳴らすことなく、基本的に止まってくれました。車同士の事故はウラジオの市街とウスリースクからの帰途に1回づつ目撃しました。

 

 

オケアンスキー通り.jpg北から革命広場・兵士の像・金角湾を望む。市内を走る車は9割方は日本の中古車でした。市内にはあちらこちらに巨大な像があり、そのほとんどが戦争や兵士のもの。ロシアの太平洋艦隊の本部があり、街には多くの水兵さんが闊歩する姿が見えました。古いヨーロッパ風の建物がたくさん。デパート「グム」で昼食をとりました。英語が通じないのでピロシキとコーヒーしか頼めませんでした。トイレも少ないよう。ロシア語で尋ねましたがよくわかりませんでした。



ウラジオストク駅.jpgシベリア鉄道の終着点、ウラジオストク駅。駅の入り口には金属探知機があり、駅舎に入る者はそレーニン像.jpgの都度チェックされます。出発案内にはモスクワ・ハバロフスク行のほか、ウランバートル行などもあり国際駅だと分かります。時刻はモスクワ時間ですべて表示されていました。隣に、空港行専用の新駅があります。駅と海を見下ろすようにレーニン像が建ってました。「いわゆる『市場問題』について」「帝国主義論」でロシアの資本主義の発展と世界の資本主義の腐朽性を論じた彼は、現代のロシアをどう論じるのだろう。



ウラジオストク駅ホーム.jpgホームに並んだ列車。300bはあるのではないでしょうか。先頭から最後尾まで確かめる気も失せるほどの長さ。大半は貨物車のよう。乗客は客車ごとに女性の車掌に乗車手続きをしているようでした。駅舎に入るのはチェックが厳しいのですが、ホームには一般の道路から自由に入ることができました。モミュメントのSLの上で小さな子供が遊んでいました。一人でどうやって登ったのだろう?SLの先に起点を示す標識があり「9288」と記されていました。



金角湾2.jpg金角湾.jpg鷲の巣展望台から、金角湾を望む。軍艦や貨物船が見えました。風が強く寒かった。湾にかかる橋は、去年のAPECの開催のためつくられました。プーチン大統領の号令によって突貫工事でつくられたので手抜きがあって、壊れるのではないか、とは街の噂。展望台には中心部のバスターミナルから小型の乗り合いバスで行きました。この下のケーブルカーで降りて、歩いて観光。潜水艦博物館などを見ました。疲れました。この時期、一斉に修理や工事が始まるようで、改装中で入れない博物館もありました。この先のルースキー島にも大きな橋が架けられ、同島で会議が行われました。



フリーマーケットで.jpg革命広場でフリーマーケットが開かれていました。日本の中古トラックがたくさん昔の名前で頑張っています。野菜や海産物、乳製品、ジャムや蜂蜜などの加工品、文具・本まで車とパラソルでこしらえた臨時のお店で生産者が直接売っていました。20年前に出版されたこの地方の紹介本「ヴェールを脱いだ国際都市ウラジオストク」には「コルホーズ員」の記述がありましたが、今では農民は自分の土地で耕作していると言います。この町は92年に外国人の入域が認められました。


ノスタルジア.jpgホテルの近くのレストラン・ノスタルジアの店内。写真付きの英語のメニューがあり、注文しやすい。適当に注文してどれもおいしかった。隣に座ったロシア人男性が気さくに声をかけてくれ、写真も撮ってくれたりしました。「この店は美味しい。しかし、ボルシチはいただけない」とは彼のアドバイス。その通りでした。隣に日本食レストランがありました。20年前は北朝鮮の店「モランボン」でした。


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