市長 人事権の行使というのが、最大の権力の行使なわけですから、人事権者が人事権を行使するのは当たり前の話ですよ。何も不思議な話ではなくて。ただもちろん、人事権を行使するだけでは、物事は動かないので、この新しい法制局の長官が、官僚組織内で議論を積み重ねていくことになるんでしょうね。そりゃ、政治家が、法制局のメンバーと法的な議論をしたって、勝てっこないんですから。そんなのは、真正面から政治家が議論する必要はなくてね。人事ですよ、政治がやるのは。だから自分たちの価値観・自分たちの方向性に沿う人材をそのポストに据える。あとは、その中で議論してもらう、それでいいんじゃないでしょうかね。人事権の行使なんていうは、当たり前ですよ、だからね、ちょっと昨日、担当局と議論になって、それは違うっていうことで、指示を出したのは、これは、また、毎日新聞がもう頓珍漢なことばかり言った、教科書採択の問題もそうだし、昨日も記者会見でもさんざん言いましたけれども、あんなのは今の教科書採択権というものは、教育委員会が持っているんだから、当たり前の手続きに変えただけなのに、何か教科書を強制されるとかね、大体現場は採択権持っていないんだから、持っていないそういう責任も負っていないようなところに権限を与えるのはおかしな話で。市立大学がね、学長まで学長選挙で、なにか選ぶとかいう、なにかふざけたことを言って、そんなのは許さんと言ってね、学長を選ぶのは、市長僕であり、選考会議なわけですから。それをその教職員全般で、なにか意向投票をやるなんて話が、僕のところに上ってきたので、とんでもないと。そんな何の権限もない、何の責任も負っていない、そんなメンバーが、学長を選ぶのにね、1票を投じるなんていうのは、そんなのはもうまかりならんということで、突き返したんですけどもね。日本というのは、認められた、その権利を行使するっていうことを、ものすごい、なんか悪のように考える、これは、朝日新聞・毎日新聞的な価値観なんでしょうけれども、人事権を行使するなんて言うのは当たり前の話でね。そのために選挙で政治家が選ばれて、政党が選ばれて、政権が作られるわけですから、その、いわゆる人事権の行使なんていうのは、強力な政治権力の行使だからこそ、有権者は真剣になって投票しなければいけないわけでね。ほな当たり前の話です。そんなの。法制局の長官、じゃ誰が選ぶんですかって話ですよ。首相が選んで、当たり前じゃないですか。もちろん、実際の法的な枠組みでは、これはあれですか、これは法務大臣が選ぶことになるんですかね。ちょっとわかりません。形式的な人事権者っていうのはきちんとあるんでしょうけれど、それはただ、おそらく、首相が任命した大臣を通じて、人事をやることになると思うんでね、当たり前の話だと思います。ただ、そこで、しっかりこれまでの官僚が積み上げてきた議論を、議論と、新しくポストに就いた、まさに専門家がね、激しく専門的な行政的な議論をやればいいと思うんですよ。政治家がこうするって言ったから、すぐそのまま動くというものではないです、ただ、行政の議論が、専門的な議論が必要になるから、ま、それは、内閣法制局の長官の人事をしっかりやって、しっかりそこで議論をやってもらって、政治が考える方向性に、持っていくってことは、これは当たり前の政治の流れだと思いますよ。PDF youtube
記者 市立大学では、学長を市長が選ぶことになるのですか。
市長 選考会議で選ぶんです。でも選考会議っていうものの中に、当然、僕の意見というものが反映していきますのでね。府立大学はそうですよ。もうすでに府立大学は学長選挙なんてやめていますから。だからそれは、学長選考会議っていうものがしっかりあって、その中で、僕の意見なんかも言いながらね。で、最後は、任命するのは市長です。学長を任命するのは。だから選考会議で、候補者を絞ってもらいながら、最後、任命するのは、市長・知事なわけですから。なんでそんなところで、全職員の投票なんかやらなきゃいけないんですか。おかしな話ですよ。だから、それを今年度もやるとかいう話になるから、それはあかんと、ダメだと。今までの、前市長までは、これを許していたのかもしれなですけれど、ガバナンスにこれだけこだわっている僕がね、一体誰、じゃあ学長を選ぶ、任命権者は誰なんだっていったら、市長ですっていうんですから、そしたら意向投票で、全職員で投票なんて許さんといって返したんですけどね。だから学長選挙はやめます。市立大学では。
記者 大学の自治というのがあるわけですが。
市長 大学の自治っていうのは、公権力が介入しないっていうことですよ。学長を選ぶことが大学の自治じゃないですよ。そりゃ、朝日新聞や毎日新聞の悪しき平等でね、悪しき平等主義の、悪しき民主主義の考え方で、それだったら、法律上、きちんと、全職員に投票させるって規定したらいいじゃないですか。職員や教職員なんかには、何の責任もないわけですから。学長なんか、トップを選ぶ権限なんかを与えたら、どうなるんですか。それなら、朝日新聞は、社長を選ぶ権利を記者がみんな一票持っているんですか。そんなの持っているわけないじゃないですか。そんなの。それで民主主義とか一番言ったら、朝日新聞社の社の社長を選ぶのに、みんなが一票を従業員が持っているんですか。そんなバカなことないですよ。法律の規定では、選考会議に基づいて、市長が任命すると。それはやっぱり、まさに、それは民主主義ですよ。公立大学なんてのは、税金で運営されてるわけですから、教職員に全部決めさせるなんていうのはおかしな話でね、ちゃんと民主的な責任を負った市長が任命をするっていう、きちっと法律でそういった体系ができてるわけですから、それを教職員の方に選ばせるのが民主主義だって言ったら、この間の教科書採択の問題での、毎日新聞の頓珍漢なあの記事と同じになってしまいます。普通に法律の規定に基づいて、市長が選考会議の候補者を、選ばれた候補者について、最後、市長が任命するってなっているんですから、その規定通りに、きちっとやればいいだけの話なんです。
記者 大学の自治について、公権力の介入が教育内容に入っていくことにならないですか。
市長 そりゃそうですよ。そりゃ、学長の任命のところまでで、民主的な、その正統性っていうことですから、教育委員会制度と同じでね、その人事の任命のところまでが、政治の役割であって、具体の研究内容とか、そういうところに、政治が、ああだこうだというのは、これは、大学の自治の問題になってきますけれど、任命権・人事をやるなんていうのは、そりゃ当たり前の話なわけなんですから、当然、学長を選ぶのは、市長なわけですから、前の市長までは、平松市長までは、そういうところはあまり考えなかったので、全部学長選挙とかそういうことでやってたんでしょうけれど、それはもう僕が市長なんで、そんなことは許しません。